このページの内容は2020年開催の内容です。最新の内容は
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IMR2020Time Table
メインチャンネルのアーティスト名を
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9/20 |
メインチャンネル Youtubeライブ配信 |
裏番組 インスタライブ配信 |
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11:00 | オープニングトーク | 11:00 - オープニング |
11:30 | key: | |
12:00 | 岩船ひろき | |
12:30 | 原生真 | |
13:30 | もりきこ | |
14:00 | AZUSA | |
15:00 | 市川淳之介 | |
15:30 | mondeo | |
16:00 | 倉品翔 | |
16:30 | 伊津創汰 |
IMR2020Artists
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伊津創汰
新潟県出身、19歳
2017年の春頃から活動を始め、新潟と東京を中心にアコースティックギター弾き語りで活動中。ループステーションを使いその場で音を重ねていくスタイルでのライブを行っている。 -
岩船ひろき
埼玉県さいたま市出身在住。埼玉を拠点に、東京・新潟・福島いわき・仙台を中心に活動中。地元ラジオ局87.3FM REDS WAVEでレギュラー番組を担当。2014年、スガシカオ氏のオープニングアクトをつとめる。2014年初の全国盤CDを発売し、全国5都市でのワンマンライブツアーを成功させる。2018年8月26日に新作ミニアルバムを発売。
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コダハルカ
新潟出身で新潟を中心にギター弾き語りで活動をしています。
瑞々しい感覚で日常を歌にします。
透き通る芯のある歌声と、軽快なギターをお聴きください。 -
原生真
「弾きふざけ」と呼ばれるライブスタイルで会場を魅了。楽曲の作詞作曲編曲などを全て自らが手掛け、そのキャッチーなフレーズは果てしなく耳に残る。
キーボーディスト・アレンジャーの一面もあり、「雨宮天」や「和氣あず未」の楽曲にキーボードで参加。いわむロック出演のkey:やコダハルカの楽曲の編曲も担当。 -
もりきこ
横浜市鶴見区出身、幼馴染みのDANNYとJUNNYによるビンテージロックデュオ。1998年川崎駅東口路上でビートルズを歌い始めたことがキッカケで活動をスタート。ビートルズ直系のポップセンスが光るメロディ、S&Gに憧れる二人が織り成す変幻自在のハーモニーが特徴。どこか懐かしくて新しいもりきこワールドは必聴です!2018年8月に結成20周年を迎え、20曲入りのフルアルバム「二重想」を引っ提げ、全国ツアーを開催
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杉本ラララ
ラララと歌に生きる歌うたい。2010年から「おつかれーず」のボーカルギターを担当。フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」エンディングテーマ、NHK「釣りびと万歳」のテーマ曲などを作詞作曲。2017年より名義を「杉本ラララ」に改め再出発。2018年、路上ライブで投げ銭50万円を達成。→2ndアルバムの制作資金に。BSフジ「OTOSEN」にて密着ドキュメンタリーが放送され話題となる。
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市川淳之介
歌とギターと役者とカレー。
自身が主催する弾き語りイベント「月一歌会」は今年で11年目、第128回を迎えた。
また音楽活動と並行して舞台役者としても活躍。
普段は三条市にあるカレーキッチンPandoraの代表を務め、スパイスカレーを提供する日々を送っている。 -
mondeo
新潟県は中越地方、人口五千のしがない港町・出雲崎町出身、在住のシンガーソングライター。
新潟県のご当地ソングを筆頭に、人々の心に寄り添う曲や社会への不平不満を表現した曲など、楽曲テーマは多岐に渡る。
演歌から影響を受けた「こぶし」を交えた歌唱法と、物語調の歌詞が特徴。
"こぶしロック"という独自のジャンルを売り文句とする。 -
key:
新潟県を拠点に活動しているシンガー。誰もが感じる劣等感や焦燥感、細く儚くも秘めた強い想いに、何処か温もりを感じこころが解されていく... 小説を語るように歌う。
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倉品翔(GOOD BYE APRIL)
長野県佐久市出身。20歳でGOOD BYE APRIL結成。今年10周年イヤーとして、5月から6ヶ月連続新曲配信リリース進行中。ニューミュージックやシティポップの次世代として注目を集める。今年6年目を迎える地元FMでの自身のラジオ番組をはじめ、アレンジや楽曲提供、劇伴作曲等多岐にわたり活動中。
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後藤貴光
新潟県燕市出身燕市在住。新潟の3ピースバンド FOOT STAMPのボーカルギターを担当
1997年結成、2003年バップよりメジャーデビュー。翌年サマーソニック大阪にオープニングアクトで出演。2010年 子育てをしながら約10年間音楽活動から身を引く。2020年 新型コロナの自粛期間に何か出来ることから始めようと思い、弾き語りの動画をSNSにて配信。FMPORT6月閉局前に遠藤麻理「モーニングゲート」にゲスト出演し、大きな反響を得る。マイペースながら、世の中と周りの人を元気にするべく音楽活動を再開し歌を発信している。 -
小島璃沙
新潟市出身の高校二年生。
BUMP OF CHICKENの影響で12才から作詞を始め、2017年よりシンガーソングライターとしての活動を開始する。
思い出や葛藤から生まれた歌詞、力強いギターが魅力。
1stシングル「Secure」制作中。 -
AZUSA
心の隙間に眠っている感情をポップなメロディーに乗せて届けます。新潟市出身のシンガーソングライター。高校卒業後アメリカに音楽留学。2015年から地元を拠点にキーボード弾き語りや、ドラム&ベースを交えたバンド編成で活動中。セカンドミニアルバム「POP AVENUE」収録曲は新潟のテレビドラマ挿入歌や、ラジオCMにも起用されている。2019年12月28日新潟クラブリバーストにて初のワンマンライブ開催!
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小口美弥子
新潟県出身シンガーソングライター。
日常で感じる繊細な感情を切り取った等身大の歌詞、甘い雰囲気だが透明度の高い歌声が反響を呼び、イベント出演やCM楽曲タイアップ、CM出演など活動の幅を広げている。 -
田村徳幸
新潟市出身のシンガーソングライター。日常の中にある大切な風景を、アコースティックギターの音色にのせて、優しく温かく歌う。一音一音丁寧なアルペジオと、生まれつきのビブラートを活かしながら、BARやCAFEのライブイベント等、新潟市を中心に活動中。
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YKJ
活動16周年の埼玉県川口市出身・在住の二人組 J-Pop バンド。弾き語り、叩きハモる二人からメッセージを込めた歌を届けている。アコギ+ドラムの編成で、新しいJ-POPを表現している。2018年に新潟に通ってライブをするようになって11周年になり、 2019年6月には岩室にて無料のワンマンライブを開催。
毎月更新IMR Photo Archives
来年の10回目のIMRに向けて、今までを写真で振り返る企画『IMRフォトアーカイブ』
2015年から2019年までの5年分を、5回に分けて毎月供覧いたします。今月は、2019年分です!
クリックで拡大します。
(Photo by 片桐悠太)
INTERVIEW
県内外のファンを呼び込み、『いわむロック』に賑わいと多様性をプラス!
「県外アーティスト部門」
初出演の2015年以来連続出演し、アーティストとして、そして県外在住ながら「作る側」としても『いわむロックFESTIVAL』(以下、IMR)を支え牽引する岩船ひろきさん。ご自身の活動について、また新潟とIMRに纏わるエピソードや想いを教えて頂きました。

岩船 ひろき(いわふね ひろき)さん
さいたま市浦和出身在住。優しく力強い歌声で、心に寄り添い背中を押す応援歌を歌い上げるシンガーソングライター。埼玉を拠点に、東京・新潟・福島・仙台などにも赴き歌う。新潟には活動1年目から通って今年で9年目。新潟県民には親しみのある「TeNYテレビ新潟」のマスコットキャラクター「てっと君」のテーマソング『てとてと』と『てっと君えかきうた』を歌っている。また、2020年3月に第四銀行×新潟駅Nプロジェクト「新生活応援メッセージ」に『エゴ贔屓』が楽曲起用されるなど、新潟に馴染み深いアーティスト。
現在はオンラインでの活動をメインに行い、ツイキャス「岩船ひろきのバイーンチャンネル」にて、うた配信(週2回)、イラスト配信(週1回)、折り紙配信(週1回)、散歩配信(月1回)。そして、地元ラジオ局にて週1回のレギュラー番組も担当している。
始まりと、「始まり」の始まり
-ミュージシャンとして音楽活動を始めたのはいつからですか?
新潟から作った新しい道、今に繋がる道
そこで、イベント主催者の平田英治さん(現 IMRプロデューサー/イベントプロデューサー)と出会い、翌年の2012年からは英治さんと話すことも目的の一つとして、毎月新潟に来ていました。そして僕が路上ライブをして英治さんがチラシを配ってくれて、「どうしたら、路上ライブで初めて聞いてくれた人がライブハウスに来てくれるか」や「自分の活動をどうやって作っていくか」ということを、一緒に考えていました。とにかく色んなことを試していて、「『新潟古町音楽祭』っていうのがあるよ」と言われ「じゃあ、やってみます」と出演してグランプリを取れたり、TeNYテレビ新潟の「夕方ワイド新潟一番」のコンテストに参加し、そこから「てっと君」の歌に繋がったり。ほんとに新潟での活動は英治さんと作っていて、そのやり方を僕は埼玉に持ち帰り、色々な活動に活かしていきました。
-新潟での活動の一つとして、ダンスチームのオリジナル楽曲の制作とそのチームの「歌い手」として『にいがた総おどり(新潟市で開催される日本最大級のオールジャンルのダンスフェスティバル)』に参加しているそうですね。そのきっかけは?

「Sea Point NIIGATA(シー ポイント ニイガタ)」(以下、Sea Point)という新潟市の関屋浜にある海の家で、そのダンスチームのリーダーの方とお会いしたんです。「Sea Point」に行くきっかけも英治さんで、「面白い海の家がオープンしたらしいよ」と教えてくれて。2016年の夏に行き、以来「Sea Point」の皆さんに本当に良くしてもらっています。
そして、「Sea Point」との出会いが僕にとって大きな転機でした。それまで僕は、純粋に「“シンガーソングライター”岩船ひろき」だったんですね。「とにかく作品を作りたい」という思いばかりで、「作品を作った後にどう届けるか」というような音楽の「ビジネス」に関してはあまり考えられてなかったんです。でも「Sea Point」に行き、自営業の方や行政・まちづくりに関わっている方、その他色んな職業・考えの方達と話をしていく中で、“俺、まだこの中に入っていけないな”と思ったんです。それがなんか悔しくて。ちゃんと対等に話ができるように勉強しようと、そこからビジネス書を沢山読むようになったんです。そうして、その人達と話せるようになってきたちょうどその頃にダンスチームの楽曲依頼のお話を頂いて、“「音楽で仕事する」っていうのはこういうことなんだな”と思い始めました。
-「悔しい」という思いで、頑張って独学でお勉強を始めたんですね。負けず嫌いというか、その気概がすごいです。
本は色々読みました。そして、あるビジネス書を読んで「3つのスキル」を底上げしようと思ったんです。僕には「歌」と「書道」と「イラスト」があったので、「これだ!」って。その時までは100%の力のうち「80%=音楽」「15%=書道」「5%=イラスト」という感じだったんですが、「これをそれぞれ100%やろう」と決めて。でもそうすると力が300%必要なので、自分の容量を100%から300%に増やそうと思ったんです。その方法は、『覚悟とやる気とモチベーションを常に上げ続ける』ということ。それで、漫画を読まなくなりましたし、アニメやテレビも全然見なくなりました。でも、自分が“面白い”と思うものは、必ずしもそういう「娯楽」と呼ばれるものじゃないものがたくさんあるなと気付きました。今までは「勉強」だった新聞も、読んでて“面白い”と思ったら「娯楽」というカテゴリーに入れてしまう。言ってしまえば、今このインタビューも。全部が楽しい。だから僕は「娯楽」をしながらそれを仕事にしていて、そうなると「オン・オフ」がなくなるんですよ。常に、僕のやってることは全て「自分の活動に必ず繋がっていく」という前提の下なんです。だから、何をしててもいい。サボっててもいいし、でも「サボっている自分」をしっかり意識しておいて、歌詞とか生き方とかそういうものにフィードバックできるようにする。それをしっかり意識しておけば、僕は何をしててもOKと。
-「自分の容量を300%に増やそう」という発想とその方法が本当にすごい!書道は小さい時に習っていたそうですが、大人になってからまた練習を始めたんでしょう?
そうです。小学4年から中学2年生まで4、5年習っていて、中学2年の時は全国1位でした。大人になってからも、音楽活動をしながら「字を書く」ということはちょくちょくやってはいたんですが。何年か前に、福島のいわきで「soyamax(そやまっくす)」さんという書家の方の字を見て「すっげーかっこいい!」と思ったんです。その後、soyamaxさんが僕が埼玉で出演している「路地裏GARAGE MARKET」という場所でも書いていたことを知り、“埼玉かいわきか、どっちかで会えるかなぁ”と思っていて。それから「Sea Point」に行き始めて1年目の2016年。IMRが終わり、一旦「Sea Point」に戻ったら、そこにいたんですよ!「なんで?!」みたいな(笑)。

その時、soyamaxさんの「書」のお仕事や作品を見て、「書」ってやっぱりおもしろいと思ったし、文字は人を幸せにできるなぁと改めて感じました。そして文字は言葉なので、音楽と近いところにあると思ったんですよね。綺麗に歌うとか、綺麗な作品を作ることはできるけれど、「“誰か”の作品みたいね」と言われることがたくさんあって。「“岩船ひろき”の曲だよね」とか「“岩船ひろき”の世界観だよね」と言われるためには、やっぱり結構頑張らなきゃいけないんですよね。同じように、僕が書いていた字というのも「“岩船ひろき”の字」ではなかったんですよ。ただ「綺麗な字だね」っていう。でも、soyamaxさんの字は「“soyamax”の字」なんですよ。僕もこういう字を書きたいと思い、またしっかり練習を始めました。
-イラストはいつから?
音楽活動2年目の時に『じゃあね』というシングルCDを作って、そのジャケットをデザイナーの方にお願いしようと思っていたんですが、連絡が直前になり「今、忙しくて無理です」と言われてしまって。入稿もほんとに締め切りギリギリで、明日出さないと間に合わないくらい、ということで「・・・描くか」って(笑)。そうしたら思いの外、めちゃくちゃ好評だったんです。そこから自分でジャケットを描くようになりました。
その後、2016年からいわきに行くようになって「ジャケットは、実は自分で描いてるんですよね」という話をしたら、「素敵じゃないですか!個展やりましょうよ」ということになったんです、いきなり!「こ、個展??!」みたいな(笑)。でも、「ぜひ、やらせてください」と、海辺にある古民家で開催させて頂きました。それが大好評頂いたのと、「自分の作品として絵を描く」というのが初めてで楽しかったんですよね。それで「俺、もっと絵を描こう」って(笑)。
-しっかり実績に裏打ちされた「3つのスキル」だったんですね。
そうなんです。結局、今僕がやってること、今の“岩船ひろき”を作ってることは、ちっちゃい時から「好きでやっていたこと」がもう一回纏まってきたものなんです。そして今は、そのクオリティーをしっかりと上げて「これは表に出しても恥ずかしくない」というものを作品として出している感じですね。
「“作る側”アーティスト」から見る『いわむロック』
-岩船さんがIMRに初めて出演したのはいつですか?
2015年です。2014年から英治さんがIMRに関わるようになって、2年目から僕も呼んでもらいました。
-どんな印象でした?

単純に楽しかったです。その時は野外ステージは組まれてなかったんですよ。「いわむろや(IMR会場・新潟市岩室観光施設)」敷地内の「伝承館」の縁側みたいなところをステージにしていて。その翌年から野外ステージが作られて、どんどんIMR自体が成長していくのを感じていました。2015年、2016年、2017年と出演させてもらって、IMRがどうやって作られてるのかすごく気になり始めたんですよね。それで、2018年は確か前・前日入りして「伝承館」に寝泊まりして設営を手伝いました。そして2019年は前・前・前日入りして、もはや岩室に住んでましたね(笑)。
-「作る側」としての参加は最近なんですね。2019年は設営の他にもステージの装飾をしたり大活躍でしたね。
ありがとうございます。2019年は台風の影響で一日のみの開催でしたが、IMRを作れて楽しかったし、色んなことが初めての試みだった中で、しっかりIMRに活きていったと思います。
「作る側」に関わろうと思った時、今ここに自分がいる役割、IMRにおいて自分ができる事はなんだろうと考えて、「ボランティアをやろう」と。ただ、僕一人では非力であまり頼りにならない。でも、「やります」と言ったらきっと何人かは来てくれると思ったので「お客さんと一緒に会場の装飾をやろう」という企画を立てたんです。『一緒にやる』というのは、お客さんも喜んでくれてすごく良かった。
そして本番直前、台風の接近でIMRの開催可否の判断を迫られて“作る側”みんなの空気がすごく沈んでるのが分かったので、「俺はここで折れちゃいけないな」と強く思っていました。だから、中止になってしまったIMR2日目に「何か別のイベントとして、僕が自分で主催でやる分にはおそらく問題ないと思うのでやらせてください」と申し出ました。
-2日目のミニライブは急遽の開催でしたが、来場された皆さんはすごく喜んでいましたね。
「代替イベント」とは言えませんが、開催してすごく良かったと思ったし、自分が岩室にいる意味を一つ見出せた気がします。
-主催でいくつも企画を立てたり色んなイベントに出演してるからこその、岩船さんの経験値はさすがだと思いました。そんな岩船さんから見て、IMRってどんなフェスですか?そして、他のイベントの違いは?
大前提で「そりゃそうだ」という話なんですが、“岩室の人たちがいる”というところ。そして“英治さんと小倉さん(小倉壮平さん:当時の「いわむろや」館長)がやっている”というのが他との違いですね。僕はフェスに出演する時、会場に行くというよりは「人に会いに」行っている感じなんです。IMRなら「小倉さんに会いに」行く、そして「英治さんに成長したアーティストとしての自分を見せに」行く。

そしてさっきも言いましたが、毎年出演していく中でIMR自体が成長しているというのが見えるんですよね。毎回色んなことが変わってて「今まさに作ってる途中のフェス」なんです。そのIMRを一緒に作っていくというのも他との違いだし、アーティストとして「どんどん大きくなっていくIMRに、自分がちっちゃくなりたくはない。俺も毎回大きくなってこのステージに立つ」という想いもあります。
あとは、IMRはやっぱりすごいフェスなんです。お客さんも来るし。「お客さんが来る」っていうのは、それまでに色んな人が広報を頑張ってくれているからで、その恩恵を僕らミュージシャンはもらってるんですよね。2018年のIMRで自分のステージが終わった後、僕は物販でサインを1時間半やり続けたんです(笑)。初めてのお客さんにも出会えるし、IMRきっかけで出会えた方もたくさんいるので。もらったものは沢山あるし、それはしっかりこれからもIMRに返していきたいと思っています。
「『希望』の旗」を100年先に繋げたい、「想い」と「歌」
―IMRの「作る側」としての想いは?
2019年のIMRの台風が来ていた日に小倉さんと話をしていて、「『HOPE(ホープ)』という旗、漠然としてるんだけどその『HOPE(希望)』という旗を掲げて、そこに向かって行く」というのが僕はすごく印象に残っているんです。その旗をめがけて、全国から新潟中から、色んな人がここに結集してるということがすごいと思っていて。そして、それができているのはやっぱり「小倉さんだから」なんですよね。小倉さんの、繋がりや出会いを含めた「人間としての力」というか。
小倉さんが今ここで旗を揚げているから、IMRが出来ているんです。小倉さんがその旗を下ろしたら、多分もうIMRじゃないんですよ。英治さんも同じく。英治さんが旗を下ろしたら、きっとIMRじゃないんですよね。英治さんと小倉さんが持つその旗があるから、僕らは何とかそこに一緒に向かっていると思っていて。でもIMRの『100年構想』って、その旗を引き継がなきゃいけないんです。どこかで、必ず。だから、僕らのこれからのIMRに関する課題は『どう、このIMRを受け継いでいくか』だと思っています。
もっともっと、新しい作り手が出てきて生まれていって、若手が引き継ぐこと。そして出演アーティスト自体もどんどん若手が増えてますけど、彼らが人間としてもアーティストとしても成長して大きくなっていくこと。バリューも人気も含めて。アーティストが大きくなっていかないとフェス自体は絶対大きくなっていけないので。要は、対外的に来てくれた一般の人達は、出演してるアーティストも含めて「このフェスはすごい」って思うんです。だから、僕ももっと売れなきゃいけない。IMRのために、『岩船ひろき』はもっと売れなきゃいけないんです。
そして、「IMRを引き継いでいきたい」「『100年構想』を一緒に見届けたい」という想いから作ったのが【螢火】(2020.8.30発売CD収録曲)という曲なんです。2019年のIMRの次の日に『いわむろや』の足湯に入りながらやった岡村翼(新潟在住ミュージシャン)とのミニライブで、制作途中だったこの歌のサビを初披露して。好評と「完成がとても楽しみ」というお声を頂いていて、一年越しで完成させることができました。
今回はリモートの開催になるので、僕なりにIMR色を演出して参加すると思います。
―今後の野望はなんですか?
単純に「もっと売れなくちゃいけない」と思います。関わってくれた全ての人達のために。COVID-19の影響で出来ることは限られてしまったんですが、「限られた」ということはつまり「出来ることが明確になった」んですよね。これを、頑張ってやっていければどうなのかなって。しっかり結果を出せるようにするために、1日16時間労働ですね(笑)。『岩船ひろき』というアーティストがもう1段2段ステージアップして、それを自分の生き様を通して見せていきたいと思います。

―岩船ひろきさん、ありがとうございました!
- 岩船ひろき
- HP http://www.iwafunehiroki.com
INTERVIEW
『いわむロックFESTIVAL』を音楽で繋ぐ!!「新潟アーティスト部門」
オーディエンスと県外アーティストを『いわむロックFESTIVAL』(以下、IMR)に繋ぐ、ハブ的役割も担う県内アーティスト。
「第四銀行×新潟駅Nプロジェクト」など企業とのタイアップ、ウェブマガジンの取材等、今注目を集めている原生真さんとkey:さんについて、たっぷりお伝えします。


原 生真(はら いくま)さん
新潟市出身のギター弾き語りのシンガーソングライター。キーボーディスト、アレンジャーとしても活動し、県内外問わず様々なアーティストの楽曲にも参加している。ライブ中に歓声と笑いとツッコミが混じる「弾きふざけ」スタイルがすっかり定着し、最近では一緒に「聴きふざけ」て楽しむファンも多い。
《2020年(8月現在)の活動紹介》
- アニメ「理系が恋に落ちたので証明してみた」OP曲ピアノ・オルガン参加
- 和氣あず未「シトラス」ピアノ・オルガン参加
- 新潟市×JR東日本「フラワーバレンタイン企画」映像出演・ピアノ参加
- 第四銀行×新潟駅Nプロジェクト「新生活応援メッセージ」に『オレンジ色』楽曲起用
- UX新潟テレビ21「Team Eco PRPJECT2020」テーマソング渡辺百枝「ミドリトアソボ」編曲・演奏参加
- 新潟ローカルウェブマガジン「Things(シングス)」のインタビュー掲載
など


key: (キー)さん
新潟市出身のシンガー。“わたしの存在証明があなたの存在証明になりますように” というテーマを掲げステージに立つ。哀愁漂うステージとは相反して、ピアノ&ギターサポートを務める原生真さんとのテンポの良い会話ややり取りも、彼女達の魅力の一つ。
《2020年(8月現在)の活動紹介》
- 新潟市×JR東日本「フラワーバレンタイン企画」映像出演・『夜啼き』楽曲起用
- 第四銀行×新潟駅Nプロジェクト「新生活応援メッセージ」『君が飽きるまで』楽曲起用
- 新潟ローカルウェブマガジン「Things(シングス)」のインタビュー掲載
など
-お二人の最近の活動について教えてください。
key:さん:今年に入ってからは、主に「MUSIC DROP(ミュージックドロップ)」企画のライブやイベントに出演させて頂きました。1~3月は新潟市や、第四銀行×新潟駅Nプロジェクトのタイアップ企画に起用して頂いて、新潟駅のデジタルサイネージ(電子看板)で見て聴いてもらえる機会を頂きました。
4月には、アーティスト写真も担当してくれているフォトグラファーの片桐悠太さんに撮影・編集をしていただき、自身初のミュージックビデオ【あとかたづけ】を公開しました。また、緊急事態宣言後は新しい曲も書いていて、現在はアルバムを制作中です。
原さん:配信ライブをしたり、他のミュージシャン…IMR関連だったら杉本ラララさんや小口美弥子さん(ともに東京在住アーティスト)に声をかけてリモートセッションした「おうちセッション」動画を、シリーズ化してYouTubeに上げたりしていました。8月現在は数名のミュージシャンの楽曲アレンジやレコーディングをさせて頂いています。
-人気のアニメの主題歌にも関わっていましたよね?
原さん:ピアノで参加しました。「雨宮 天(あまみや そら)」さんという声優さんの歌なんですが、その作曲・編曲した「トミタカズキ」さんと昔からの知り合いなんです。それでいつも声をかけて頂くんですが、今回も「ピアノを弾いて欲しい」と。
-「トミタカズキ」さんって、最近、「King&Prince」の曲も作った方ですよね。そんな著名な方と知り合ったきっかけは?
原さん:5年くらい前に自分も参加したライブイベントの中で、ギター弾き語りをしていたトミタさんにたまたまお会いしました。
「自分」が『自分』になった、音との出会い、人との出会い
-そもそも、お二人ともどうしてミュージシャンになろうと思ったんですか?
原さん:一番難しい質問ですね、それ。どうして?どうして??・・・「音楽」というものには、ものすごいちっちゃい頃から関わっていたんです。4歳でエレクトーン習っていたし。“音楽で表現”って言うと大袈裟かもしれないですけど、“自分で奏でる”っていうことをやっていました。でも、その延長線って言われたらちょっと違うし。・・・「俺にはこれしかないんだ」っていうのがたまたま音楽だったから。だから、『自分自身を表現する』ための手段の一つとして、歌うとか演奏するということをしているんじゃないかと思います。
-ギターやエレクトーンに初めて触れたのはいつですか?
原さん:ギターは小学4年生です。家に父親のギターがあって。エレクトーンはさっきも言いましたが4歳で、気づいたら習ってました。もともと兄がやってたんですけど、そんなに興味がなかったのか辞めて。それをなんか無理矢理、「じゃあ兄ができなかったことをお前が引き継げ」みたいな感じになったんじゃないかな。
-なぜピアノ弾き語りじゃなくてギターを選んだんですか?
原さん:ギターの方が歌いやすいからです(笑)。鍵盤弾きながら歌えないんです、ほんとに(笑)。
-なるほど。key:さんはどうして歌を歌いたいと思ったんですか?

key:さん:歌うことは、ちっちゃい時からずっと好きでした。「自分を歌いたい」と思い始めたのは、高校生の時。でも自信がなく、どうしたらいいかも分からず、ずっとくすぶっていました。そのまま高校・大学を卒業し、就職した先であるミュージシャンと出会いました。その彼が「上京するからその前にライブをします。見に来てください。」って言ってくれて。それが「若者のすべてvol.2」という若手アーティストが集う音楽イベントで、そこで高校生の頃から好きだったバンド「Flatter(フラッター)」のボーカルをしていた平田英治さん(現 IMRプロデューサー)に再会したんです。職場のミュージシャンというのが十日町出身のシンガーソングライター遠田有平くん(東京在住アーティスト)なんですが、英治さんが関わってて。そこで、英治さんに「もし歌をやりたいんだったらサポートするよ。」って言って頂いたんです。
本当は大学生の時にもライブを偶然見て頂いて、同じように言って頂いていたんですが、私はその時勇気がなくて一歩踏み出せなくて。ということがあってからの、まさかの再会だったんです。会えると思ってなかったし、ちょっと運命的なものを感じたのと、同世代の彼らが一生懸命歌う姿にとても胸が熱くなり、私の気持ちが再燃し『key:』が生まれました。
-平田さんが偶然居合わせて、歌を聞いていたんですね?
key:さん:大学の文化祭でした。その時は軽音部の先輩にギターを弾いてもらって二人で歌っていました。先輩と私のユニットを英治さんが見て、大学生の時に1回英治さんが主催する「MUSIC DROP」の企画のライブに出演させてもらいました。
-原さんが、初めてステージに立ったのはいつ?
原さん:人前で歌ったのは中学の時で、父親と一緒にデュエットをしました。「フォークソング大好きおじさんたちが集まる会」、要はフォークソングやギター大好きおじさんたちがショットバーみたいなところで順番に3曲ずつ披露していくんですけど、その中に一緒に紛れ込んで。「かぐや姫」さんの歌とか、メインボーカルは父親がやって自分もギターを弾いてハモってました。
-お二人は大学も学部も同じでしたが、在学中はお会いしたことはなかったんですよね?初めてお会いしたのは?
原さん:2016年くらいの「MUSIC DROP」のライブです。当時組んでた「ぽこぴー」というアコースティックバンドとして参加してたんですけど、key:さんも出てて。打ち上げで、なんか絡まれて「むかつくわぁ」って。
key:さん:私は覚えてない(笑)。
意外?やっぱり??実は、二人はこんな人
じゃあ、仲良くなった今、最初の印象と違ったところは?
key:さん:思いっきり抜けてる。ほんとに抜けてる。
原さん:え?key:さんが?あ、俺が??
key:さん:そうでしょ。いや、そういうとこだよ(笑)。
原さん:俺、抜けてるかな??
-(笑)。どんな風に?
key:さん:「こうすると危ないよ」って言ったことを、気づいたらそのままやってたりとか・・・そういう感じ?(笑)。「注意したのに聞いてた?」って訊くと、「知らなかった」とか「聞いてなかった」とか平気な顔で言う(笑)。

でも、音楽的な知識については尊敬しています。例えば、私が「この音をこんな感じにして欲しい」と伝えたものを的確に表現してくれたり、ちょっとした辞書みたいなところがあります。それからギター、ピアノの他にもハーモニカ、バンジョー、タンバリンとか色んな楽器ができるし、たくさんの方の音源に携わってるし。あとは、怒らない。感情的にならない。
原さん:感情的になって、“わー”っと怒ることはないけど、「これは言っておかないと」と思って叱る事はあります。感情があまり表に出ないのか、喜んでても、すごく嬉しいのにそれが伝わってないことが結構あります。
key:さん:今となってみると、意外なところは「しっかりしてるところ」な気がします。色んなところを知り「普段と違って、なんでしっかりできるんだろう」って(笑)。
-以前、イラストレーターの西山りっくさんが、原さんの音楽のお仕事の話で「原くんは真面目だし、しっかりしてる」っておっしゃってましたよ。
原さん:いや、それでお金もらってるわけですからね。そこは、やっぱりしっかりしないと。“真面目”って言うと、どこがやねんって笑われるんですけど。ほんとに僕の事を知ってる人は、真面目だって言います。で、僕は自分で真面目だと思っています(笑)。無人島に行って信号があったら、赤信号は絶対に渡らないです。
-(笑)。じゃあ、原さんから見てkey:さんの意外だったところは?
原さん:逆にしっかりしてない。最初の印象は、年上だし受け答えとかもハキハキしてるから、ものすごく「お姉さん」みたいなイメージだったんですけど。だんだんサポートとかしていくうちに、「こいつクソガキだな」って思って。
key:さん:うるさいな(笑)。
原さん:すごいところは、コミニケーション力じゃないですか。多分、人によっては「そんなこと言ったら失礼じゃないの?」っていうことも、なんかkey:さんが言うと失礼じゃなく、冗談に聞こえてしまうところとか。
他には、ちゃんと自分の曲とか音楽とかライブに対して、しっかりポリシーとプライドを持っているところ。世界観とか、伝え方だったり表現の仕方を、ちゃんと大事にしている。それを意図的にやってるのか、何も考えずにやった結果がそういう感じになってるのかは分からないですけど。

-なんだかんだ言いながら、ステージの上でのお二人は息がぴったりだなって思います。原さんがすごくkey:さんのことを見ていて、key:さんが安心して歌っている感じ。
key:さん:そうですね。集中すればするほど原くんの存在が消えるんです。私の感覚の中で。きっと、私の呼吸等を察して、支えつつ盛り立ててくれている存在であって。私がどっぷり自分の世界にのめり込むことを、何よりも優先してくれているんだなぁと感じています。
-原さんは、key:さんのサポートでピアノを弾く時はどんな感覚ですか?
原さん:key:さんだけでなく他の方のサポートの時もですが、皆さんの「サポート」のイメージって多分、「歌う人にサポート側がついていく」みたいな感じだと思うんですけど。でもサポートしてる側って意外と、「いや、俺の演奏についてこい」みたいな。だから、key:さんは特にそうなんですけど、僕の演奏一つで歌い方が結構変わったりもします。例えば、「key:さん、なんか今日はせかせかしてるな」と思えば、ちょっとゆったり“間”を持たせたりとか。【ただいま】って曲だったら、key:さんのアカペラから始まって途中から僕のピアノが入るんですけど、その入る絶妙なタイミングの違いは結構毎回ありますね。そういう、裏で何か糸を引いている感じはあります。だからライブ中のkey:さんを操っているのは僕です(笑)。
-サポートで鍵盤を弾く時は、基本、リードする感覚?
原さん:僕が引っ張っていく感じの時もあれば、key:さんは楽器を持たないけど、楽器を持つ方、例えば杉本ラララさんのピアノを弾く時は「駆け引き」もあります。「あ、ラララさんはそういう感じで行くのね。じゃあ俺もそういう感じで」とか「ラララさんがそう行くなら、俺、こっち行くわ」って。なんか、音楽というか楽器で「会話」している感じですね。
-楽器で会話って、素敵ですね!じゃあ、事前にしっかり音合わせをするんでしょう?
原さん:あぁ、いつもぶっつけ本番です(笑)。ラララさん、県外なんで。「この曲をお願いします」っていう連絡が大体2日前とかに来るので、自分の中である程度用意をして。当日15分位の軽いリハーサルみたいなのはあるんですけど、「念入りに打ち合わせして」みたいのはないですね。ほぼぶっつけ本番のステージの中で、お互いの空気を感じながら弾くのは楽しいです。
「楽しむのはお客様だけじゃない」フェス、『いわむロック』
-お二人のIMR初出演は?
原さん:2014年です。当時の「MUSIC DROP」のスタッフさんの中に「ぽこぴー」を推してくださっている方がいて。「ぜひ、IMRに『ぽこぴー』を出してほしい」と平田さんに打診してくださって、出演させて頂くことになりました。
key:さん:私は2016年で、英治さんに声をかけて頂きました。その時のサポートは岡村翼くんでした。
原さん:その年も僕は出てるんですけど、まだ「ぽこぴー」だったんですよね。あの時、「いわむろや(IMR会場・新潟市岩室観光施設)」の展示室が「ルーキーステージ」で、そこでkey:さんや小口美弥子さん達と一緒に出演して。key:さんが「学園祭みたーい」ってすごくはしゃいでいました(笑)。
key:さん:みんなで、どうしたらメインステージから離れたこの会場にお客さんが来てくれるかと考えて。みんなでフライヤー貼ったり、「ポスター作ろう。」とか「矢印の表示を作ってこっちまで案内しよう。」とか言いながら準備をしていたら、「これ、結構文化祭じゃない?」って(笑)。
-他のフェスやイベントとIMRの違いってありますか?
原さん:フェス自体、僕は他のはあんまり分からないですが、IMRが一番「地域密着型」だと思います。ほんとに岩室でやることに意味があるフェスというか。「岩室の人たちと一緒に作り上げている」感じがします。
key:さん:どのフェスよりもアーティストとお客さんとの距離が近い。目の前で喋れたりとか。例えば、テレビに出ているアーティストって、生きてるとか動いてるだけで感動するじゃないですか。「同じ人間なんだ」って思うみたいな。それと同じように、ここでは間近で見れて、生音で聞けて、物販に行けば会える。即日感想だって伝えることができる。その距離感がすごく好きですし、私自身が地元のアーティストを好きになったきっかけになっています。
-完全にファンの目線ですよね(笑)。
key:さん:そう(笑)。もともと私、「MUSIC DROP」のイベントを見に行ってたので、ファンの一人としても楽しめています。今だから、こうしていろんなアーティストの方に仲良くさせて頂いていますが、ふと立ち返ると、「あー私すごいところにいるんだな」と思います。
-お二人にとって、IMRってなんですか?
原さん:なんていうか・・・「遊び場」(笑)。こんな表現していいか分からないですけど、結構好き勝手やっているので(笑)。2019年は非公式の『オリジナルIMR Tシャツ』作ったり、会場内をピアニカを吹いて回って『お客さんのリクエスト100曲演奏に挑戦』みたいなことやったり。2018年は、自分の公式LINE登録してもらうために『開催中に登録者が何人増えるかチャレンジ』って看板ぶら下げて会場中を歩いたりとか。「音楽を使って最大に遊べる場所」です。

key:さん:私にとっては、「誇り」の一つだと思います。大好きなアーティストだった英治さんと関われていること。そして、英治さんが手掛けるというか引っ張ってきて、ここまで何年も続けてきたものに出させてもらっていること自体に価値があると思っています。「IMRでなければ出会えなかった人達」にも沢山会えているし。
あーでも、一周回ってやっぱり「文化祭」みたいな感じですかね。みんなで作り上げているのをすごく感じる。フェスティバルだから「お祭り」だな。屋台もあるし、楽しいし!
-今年は、今までと違う「配信スタイル」のIMRへの参加となりますが、気持ちの面や関わり方などは変わりますか?
原さん:そんなに違いはない気がします。配信になっても「また遊びに行ってくるわー」ぐらいの感じで関わると思います(笑)。
key:さん:画面越しに楽しさを伝えるのってすごく難しいと思うんですけど、まず私自身が楽しむこと。それが見てくれる皆さんにも伝染して一緒に楽しんでもらえたらいいなって思います。
「『いわむロック』を盛り上げること」の「その先」
-これから、IMRでやっていきたいことはありますか?
原さん:これ、まだ内緒にしてて欲しいんですけど「裏IMR」をやりたいです。やるとしたら配信になると思いますが、「IMR非公式『裏IMR』チャンネル」を作って。人様のライブを流して、副音声的に解説するっていう(笑)。「次のステージは岡村翼です。俺、セトリ聞いてないですけど多分2曲目は『ささくれ』だと思いますね。・・・はい、『ささくれ』のイントロ来ました。右手で高い音弾きながら、左手で膝を叩いて拍手を煽ってますよー」って。
-その企画、見たいです(笑)。key:さんは?
key:さん:岩室じゃないところでも、こういうフェスができたら面白いなと思います。IMRがプロデュースして、「地域興し」としてその地域のフェスを作る。あの空気感を他の場所でも作って行けたらいいなと思うし、IMRがきっかけになって色々発信できるようになっていったらカッコいいなぁって思います。
そして、もっとIMRの認知度もあげたい。それには、私たちアーティストの力もありますけど。私たちをきっかけに、岩室に来てもらうのもそうだし、岩室だけじゃなく新潟の色んなところが賑わっていけばいいなと思います。
-IMRを盛り上げていくことが、きっと岩室や新潟を盛り上げていくことにも繋がっていきますね。お二人とも、IMRを代表するアーティストとして、これからもよろしくお願いします!
原さん:はい!
key:さん:がんばります!
―原生真さん、key:さん、ありがとうございました!
INTERVIEW
訪う人に「美味しい」と「笑顔」と「一息」を提供する、『フード&ドリンク部門』
イベントにおける、来場者の大きな楽しみの一つ「フード&ドリンクブース」。その全てを『いわむロックFESTIVAL』(以下、IMR)実行委員として統括・サポートしながら、自身も出店してゲストを笑顔でもてなす星野元樹さんと椎谷忠司さん。
お店やお互いの活動を楽しそうに話すお二人からお聞きした、IMRに関する「意外な繋がり」や「想い」や「『今年』と『今後』」などについてお届けします。

星野 元樹(ほしの げんき)さん
新潟市西蒲区で「米農業」を営むほか、コーヒーのアドバイザーやカフェの委託店長、スキルアップを望む若手の育成や専門学校でのコーヒーの授業など、幅広く「コーヒー業」に携わる。最近は「レンタカー事業」「レストランのお弁当の宅配」「オンラインサロンの運営」も始めるなど、『何でも自分でやってみよう』をコンセプトに県内外で活動する。

椎谷 忠司(しいや ただし)さん
新潟市西区中権寺のカフェ「椎谷Coffee」のオーナーバリスタ。デザイン・接客・調理を学び、2019年7月30日に夢だったカフェをオープン。通常営業のほか、県内の様々なイベントでの出店や新しい取り組みとして2020年5月から「毎週火曜日開催のフェス『first step』」を始めるなど、活動の場を広げている。
-「椎谷Coffee」1周年おめでとうございます。椎谷さんは、どうしてカフェを始めたんですか?
椎谷さん:ありがとうございます。もともとお店をしようとは思ってましたが、カフェとは考えてなかったんです。でも、まるで糸で引き寄せられたみたいに「カフェをやろう」と思って、そして、たまたま元樹さんがその糸をぐいぐい引っ張ってくれた感じがします。その時は前職に就いていたので、もし上手くいかなくてもまだ50歳前だしどうにかなると思い、“まずやってみよう”と一番初めにコーヒーのセミナーを元樹さんにしてもらいました。そこで豆の焙煎をしたんですが、それが本当に楽しくてワクワクして。こういう世界もあるんだと知り「これに自分の人生を懸けてみよう」と思って、そこから腹を括りました。
-お二人が出会ったきっかけは?
星野さん:3年前の2017年、まだ僕が「鈴木コーヒー(新潟のコーヒー卸問屋)」にいた時。忠司さんが、僕のところにと言うよりは「鈴木コーヒー」の会社宛に「コーヒーの授業してくれませんか」っていう問い合わせをしたんです。それを僕が運良く、事務の方から「こういう方がいらっしゃるんですけど対応して頂けますか」って。それで、僕から忠司さんに連絡させて頂きました。
-星野さんは「教える」のがお仕事だったんですか?
星野さん:マネージャーという管理系のお仕事だったから、基本的にお店には立たず、人づくりとかお客さんの勉強会とか味をもっと良くするためのアプローチだったりを、沢山させてもらっていました。それで毎月1回、マンツーマンでセミナーというか個人授業やってたんです。内容は完全オリジナルで、毎回僕が考えてました。

-お互いの第一印象は?
椎谷さん:やっぱりすごく…今思えば「憧れの存在」でした。楽しそうに教えてくれるので「あぁ、良いなぁ」って。
星野さん:初めて会った時から「柔らかい雰囲気の方だなぁ」って。未だにというか、お付き合いすればするほどそう思います。カフェやお店をやる時って、雰囲気が大事だと思うんです。お店は「人となり」だと思っているので。だから「この方のカフェだったら僕も行きたいなぁ」って、最初の印象で思いました。
「『コーヒーの魅力』の伝道師」が見せた世界を、共に形作る日々
星野さん:結論から言うと、僕が忠司さんをコーヒー屋にさせた感があります。僕もコーヒー屋なので「自分で焙煎して、クオリティーのコントロールもできて、鮮度など自信を持ってお出しできるようになった方が、より長くご商売できると思うんです」ってお話をして。それから、淹れ方や豆の違いでコーヒーの味が毎回違うとかいろいろ体験してもらったり、さっき忠司さんが言った「焙煎」。「手網焙煎」っていう「ギンナン煎り器」を使ってカセットコンロで焙煎するやり方で、7、8月に会社の倉庫で二人で汗だくになりながら(笑)。今でもよく覚えてるんですが、忠司さんがすごく楽しそうにしていました。その時、美味しく焼けたんですよね?
椎谷さん:はい、その時は(笑)。
星野さん:でもそれから泥沼(笑)。あれ?全然美味しく焼けないぞって(笑)。
-あらら(笑)。椎谷さんがコーヒー屋さんとしてデビューした日は、いかがでした?
椎谷さん:星野さんが一緒に出ないかって誘ってくれたイベントでの出店でしたが、全く初めてだったので。雰囲気に飲み込まれて、圧倒されてました。2歩3歩下がってる感じ。でも、やってるうちにだんだん慣れて楽しくなってきて。また、お客様がコーヒーをお出しするまでの過程を見ながら笑顔になっていくので、それに応えなきゃダメだなと考えながらコーヒーを淹れてました。
-イベントで一番楽しいのはどんなところですか?
椎谷さん:お客様と直接お話ができること、そして反応が見えること。それから、他の出店者さん達と情報交換したり、接客や動き方を見て「こんな時はこういう風にするんだ」って勉強になるところです。
星野さん:僕は、やっぱり新しい仲間ができることかな。忠司さんが言ったのも、もちろんなんですけど。イベントから仕事も含めお付き合いが始まって、一緒にいろんなことができるようになるので。それが外に出る醍醐味ですね。

-お二人で一緒にやる時の役割分担ってあるんですか?
椎谷さん:その時の空気ですね。
星野さん:阿吽の呼吸というか。すごく忙しい時は二人でコーヒーを淹れ合いますけど、まぁ、基本的には僕がしゃべる担当(笑)。忠司さんは「仏スマイル」でニコニコしながらコーヒーを淹れてくださるっていうのが多い感じがしますね(笑)。ウィスキーとそれを引き立ててくれるチェイサーというか、二人でいてちょうどいい。僕単体だと、クセが強すぎて(笑)。
-(笑)。今まで一緒に活動して来てどんな風に思いますか?
椎谷さん:ちょっと急ぎめで、日々学びでした。
星野さん:日々学びって言うのは僕も一緒です。そして、まだお付き合いを始めて3年位ですが、僕は本当に忠司さんと死ぬまで一緒に何かしてるなって思います。忠司さんとの関係を説明する時によく「ソウルブラザー」って言ってるんです。心というか魂が近い存在だと思っていて。出会うまでの30~40年の期間は関係なく、あっという間に仲良くなってお互いをリスペクトして、これからも一緒に楽しいことをしていけるんだろうなって思っています。
-お二人がイベントで出店されている時、若いスタッフさんもよくお見かけしますが、基本はお二人での活動ですか?
星野さん:いえ、「一緒にやりたい」と言う若手がいる時は必ず連れて行ってるので、最近は二人きりと言うのは少ないですね。
-「研修」という感じですか?
星野さん:そうです。僕は「人づくりをしないと文化が育たない」と思っているので。それに、僕や忠司さんが自分たちの世界だけで一生懸命やるよりも「コーヒーをやりたい」と言う人を仲間にしてやれば、例えば使う器具をシェアしたり、購入もみんなでお金を出して安く手に入れたりもできるから。一人でも多くの自分が“好きだ”と思った人を仲間にして、同時多発的にいろんな人がアプローチした方が文化になるというか、より沢山の人が幸せになる可能性が増えるかなと思います。そこは意識的にしています。

-本当に星野さんは人とコーヒーがお好きなんですね。そういえば、星野さんは「HOSHINO TERRACE(ホシノテラス)」という活動拠点はおありですが、「固定のお店」はお持ちでないんですよね?
星野さん:そうです。飲食関係のお仕事は20歳の頃から16~17年やってるんですけど「同じ場所にずっといる」っていうのはあまり得意じゃないんですよ。「毎日違うことをしたい」というのが僕の本質なんですよね。毎日が新しい日じゃないと嫌だというか。「毎日決まったところに行かなきゃいけない」っていうのが僕にとってはストレスなんです。もちろん、決まった場所に行って落ち着いて何かをするのが好きな方もいらっしゃるだろうし、僕みたいに毎日が旅みたいな感覚が好きな人もいる。それは人それぞれだと思うから、僕は望んでこのスタイルでいます。
「お店をしたい」お二人の、「したいこと」「見たいもの」
-お二人が「お店をしたい」という、根本的な理由ってなんですか?
椎谷さん:美味しいものを出して、それを喜んでもらえたらいいなぁっていうのが一番です。美味しいものを作るのも好きだし。「食べてもらって」でも「会話が楽しくて」でも理由は何でもいいんですけど、笑っている顔を見てるのが好きなんです。「笑顔になるお手伝い」がしたいんです。
星野さん:僕の理由はすごく単純で、お店を一つ任せてもらえたり立ち上げられたら「そこで働いて夢を叶えられる人が増えるから」です。「自分で『自分の表現したいこと』が出来る人」が増えて欲しい。それはコーヒーだけじゃなくお菓子でもケーキでもいいし、雑貨とかモノを作ることとか美容でも、何でもいいと思うんですけど。でもそれって「お店があって決まった時間に開いている」っていう、お客さんが来やすい環境がないといけないので。
-でも、毎日決まったところにいるのはお嫌なんでしょう?
星野さん:うん、僕自身はね。僕は、お店を立ち上げて0から1にするまでが好きなんです。1を2にする作業は全然楽しくなくて、0を1にすることの方が楽しい。まだないものを作って、そこで活躍する人が育っていくのを見たいんです。
世間が狭い?ご縁が深い?お二人の『いわむロック』にまつわる「あれこれ」
-初めてIMRに関わったきっかけは?
星野さん:実行委員長の平田さんにお誘い頂きました。2017年6月、県立植物園で「にいがたコーヒープロジェクト」というイベントを始めて、野外ライブをしたんです。その時にアーティストの岡村翼さんに出てもらっていて、翼さんのエージェントとして同行していた平田さんに出会いました。そこで平田さんが「楽しかった」と言ってくれて、「9月のスポーツ公園でのイベントやIMRに出店してくれませんか」って。
-岡村翼さんはIMRを代表するアーティストの一人ですが、フェスに参加する前からお知り合いだったんですね。
星野さん:翼さんとの出会いは、それよりも前でした。翼さんが大学生の時「Tully’s Coffee(タリーズコーヒー)」でライブをしていた時期があって。そのお店の店長さんがもともとは、僕がまだ「タリーズコーヒー」で働いてたときの大事なお客さんだったんです。ちなみに、彼女(店長さん)は僕のコーヒー講座に来て下さって、それをきっかけに「タリーズコーヒー」に入ろうと思ってくれたっていう。翼さんとはその頃からお会いしていましたが、当時は一緒にお仕事していたわけではなく、翼さんとイベントなどをするようになったのはここ3年くらいです。
-岡村さんが星野さんと一緒にオリジナルコーヒーの「ツバサブレンド」を作った理由が、やっとわかりました。椎谷さんは初めてIMRに出店されていかがでした?
椎谷さん:楽しかったです。音楽も好きですし、沢山コーヒーも淹れられて。2017年は天気が良くて忙しかったのを覚えてます。コーヒー仲間も大勢いて、一緒にビール飲んだりしてすごく楽しかった。
以前、IMRの会場の「いわむろや(新潟市岩室観光施設)」の近くで働いてたことがあるので、音楽祭があるのは知ってましたが行ったことはなかったんです。でも、その日に窓を開けていると音楽が聞こえてきて「あぁ、いいな」と思っていたので、参加できて嬉しかったです。
-2019年はお二人とも実行委員もされたんですよね?
椎谷さん:はい、途中から参加しました。やっぱり出店だけの時と違って、会場作りから関わった分、IMRを大切に想ったし熱くなって。「もっと広めたい、知って欲しい」「たくさんのお客さんに来て頂きたい」という気持ちが強くなりました。
星野さん:外側で出店するだけでは絶対わからないことがたくさんありました。それは否定的な意味合いではなく。ボランティア的な側面がすごく強いイベントなのでその点を含め、色々なプロの集まりだからこその「仕事に対する価値観」や「持ち味」や「IMRに懸ける想い」だったりを知れたり見れたりして、すごく広がったというか。僕は楽しかったんですけど、いろんな人間ドラマがありました(笑)。
-他のイベントとIMRの違いってありますか?
星野さん:全然違いますよ。規模で言ったらもっと大きいのも小さいのもありますが、“顔が見える範囲”で考えると、最も大きい部類だと思います。そして、とにかく「あったかい空気が流れている」印象です。「あの場所で」「あの日だけ」流れている祝祭の雰囲気というか。まず、運営している皆さんや出店されている皆さんが作っている空気感がすごく良くて。そこに、さらにお客さんが良い空気を持ち込んで来てくれている感じです。
「可能性」に満ちた、「ニュースタイル『いわむロックFESTIVAL』」
-今後、IMRでやりたいことはありますか?
星野さん:もちろんです!先はまだまだ分からないけど、一緒にお仕事したい人もいますし。今年は逆にパワーアップする年だと思っていて。本当は、リアルに開催できたほうがいいわけじゃないですか。でも、今年はオンライン配信をする。ということは、次回は「配信しながらリアルでもやれる」ってことでしょう?だから「120%良くなるしかない」ということですから。
あとは、マンパワーの問題は出てきますが、IMRの会場を増やして「いわむろや」でやりつつ「椎谷Coffee」や「ホシノテラス」でも開催するっていうこともできるかなと思う。同時多発的に。市内だけじゃなく、出演するアーティストさんがいれば東京の方でも。そうなったらライブ会場にコーヒーを淹れる仲間を送り込んで、東京でも出店します。

椎谷さん:コーヒーを提供したいし、それ以外にも、ステージを含めてIMR全体の会場作りにも積極的に関わっていきたいです。2019年は、受け身というか言われたことしかできなかったので。今後は、IMRがより良くなるような提案をしたり雑用でも自分にできることをして、みんなの助けになりたいと思います。
-お二人のこれからの野望は?
椎谷さん:新潟市外、県外の方にも「椎谷Coffee」を知ってもらいたいです。そして体力の続く限り、自分のしたいことをとことんやりたいと思います。したいこといっぱいあるので。いろんなものを作ってコーヒーとペアリングで出したり、お店のテラスで焙煎教室もしたい。そして、もう少し平日の売り上げも上げたいです(笑)。
星野さん:今依頼されている知り合いのお店のプロデュースとか、空き物件を活用したゲストハウスの企画とか、新しい会社のアイディアとか。「そこで活躍する人が増えるなぁ」って思うと、やりたいことは山ほどあるしこれからも増えていくと思います(笑)。
―星野元樹さん、椎谷 忠司さん、ありがとうございました!
INTERVIEW
『いわむロック FESTIVAL 』を支え、彩り、盛り上げる「クリエイター部門」
『いわむロック FESTIVAL 』(以下、いわむロック)の実行委員、会場装飾、そしてゲストを楽しませる「クリエイター」として活躍する、〈イラストレーター〉西山りっくさんと〈家具職人〉畑山駿さん。
お二人の最近の活動や共同ブランドやお互いについてなど、いろいろお聞きしました。

西山りっく(にしやま りっく)さん
イラストレーター・絵本作家。
新潟市観光課『駅からはじまる新潟市6つのストーリープロジェクト』のイラスト、そしてJR東日本新潟支社『現美新幹線5周年記念』として5つの駅(新潟・長岡・燕三条・浦佐・湯沢)の 装飾パネルイラストを担当。
普段は企業のポスター制作や音楽アーティストのCDジャケット・グッズ製作、またイベントにてライブペイントや自身のブランド[Piggy Bank Tourist(ピギー バンク ツーリスト)]のグッズの販売をしている。最近は一つのチャレンジとして、新潟市西区のカフェ[椎谷 Coffee]で毎週火曜日に開催される『firststep』というイベントで、毎週ライブペイントをしている。

畑山 駿(はたやま すぐる)さん
新潟市を拠点に活動する木工職人。2019年にデザイナーの妹と共に、ホームプロダクツブランド[twig(トゥイッグ)]を設立。オーダーメイド家具や新潟県産材を使ったオリジナルデザインの家具シリーズ、インテリアとしても楽しめるアロマ雑貨など、高い技術と感性を生かした作品を展開する。最近は人気カフェの木製食器も手掛ける。『新潟日報』や『読売新聞』で取り上げられる、注目の家具職人。
-お二人の出会ったきっかけと、その時の印象は?
西山さん:2018年のいわむロックです。出店してたブースが隣同士でした。イベント主催者に紹介してもらいましたが、それがお互いにバタバタしてるタイミングで、いっぱいいっぱいで正直あまり覚えてないです(笑)。
後々の印象としては「しっかりしているなぁ。あんまりしゃべらないなぁ。でも喋り出すと一気に喋り出す。ちゃんと考えてしゃべるんだなぁ」。あと「ポーカーフェイスがすごい」です(笑)。
畑山さん:僕も出会った時のではないんですが、強く印象に残っているのは2019年のいわむロック実行委員会議です。りっくさんが、ステージやゲート装飾のイメージをイラストで説明してくれたんですが、その完成度の高さに驚いたんです。自分にはできない方法だし、すごいなぁと思いました。

家具職人×イラストレーター
=[ mofmok ]
-お二人が今年4月に立ち上げた、ものづくりブランド[ mofmok(もふもっく)]。動物にも人にも環境にも等しく優しい、ブランドコンセプトが素敵だなぁと思いました。詳しくお聞かせください。
西山さん:ありがとうございます。[ mofmok ]では3つのコンセプトをあげています。
一つ目に私たち人間は動物に癒されると思っていて。でも動物が幸せでないと私たちは癒されない。虐待されていたり、ガリガリに痩せた動物を見ても癒されないし、むしろ心が痛くなるだけだなと。幸せそうな動物を見るからこそ私たちが癒される。それであれば、少しでも動物が幸せな状態へ、ということでまずは殺処分ゼロを目指す活動をしたいと思います。
でも、人間か動物のどっちかが我慢するのはどうかなって。動物だけを主軸に考えるのではなく、人間の暮らしも考えてどっちもうまく共存できる関係が大事。だから「ここの匂いはしょうがない」「家具をひっかくのは仕方がない」ではなく、「匂いを抑える」、「ひっかかないようにする」ためのお手伝いができるブランドになりたいと思っています。これが二つ目。
そして三つ目ですが、地球が健常でなければ生き物は生きていけない。だったら環境のことも考えたいなと思いました。レジ袋有料化やマイクロプラスチック問題など、人の環境に対しての意識が高くなっているし、それはとても大事なことだと思っていて。それなら、“ただ可愛い”“ただお洒落”なものではなく、“環境にもやさしい製品”を[ mofmok ]としても考えていきたいです。
-[ mofmok ]のグッズはTシャツや小物がメインのようですが、ペット用品なども加えていくんですか?
西山さん:今は人間が使う物をメインにしていますが、今後は動物が使う物も作っていく予定です。
今私たちが活動を応援している、新潟市中央区にある[里親さがし 猫カフェ おっぽ]さんが、COVID-19の影響で営業できない状態に陥ってしまっていて。何か手助けができないかと思って、グッズの売り上げの一部を寄付できるよう、慌ててそちら(Tシャツや小物)を優先して作りました。
それでもともといわむロック当日の9月20日、21日に予定していた[ mofmok ]のお披露目も早めました。
畑山さん:グッズの売り上げの一部は、僕たちが選んだ場所に活動資金として寄付させていただきます。7月末までは、[里親さがし 猫カフェ おっぽ ]さんにお届けします。
僕たちが「人と動物が一緒に暮らせる世界を作る活動を実際にやっている場所だ」と感じたところに寄付をさせてもらうことによって、その世界を作るお手伝いをしたいと思います。
なので[ mofmok ]のグッズを買って頂くと保護活動の支援に繋がるようにしています。
-それは嬉しいですね!チャリティーグッズって、正直、オシャレではないイメージが強いんですが(笑)。お二人が作るものは、素敵だなって思います。
畑山さん:ありがとうございます。“チャリティーありきで”っていうよりは、“商品を気に入って買っていただいた結果、それがたまたまチャリティーになっている”っていう感じにしたいなって、お互いに共通認識としてあります。もちろん、チャリティーとして買っていただくのも嬉しいです。
-Tシャツやその他のグッズのデザインは、やっぱりイラストレーターの西山さんが担当なんですか?

西山さん:デザインや絵柄は私が一旦作成して提案しています。木工製品の提案は畑山くんです。
その後二人で煮詰める感じです。商品開発は二人でしています。
あとは一つ一つ、課題だなと思うことに二人で力を合わせて立ち向かっている感じ。お互いやったことない事ばっかりだから。大体、二人で相談して決めます。時々畑山くんと意見が割れることもあるけど、理由を説明されるとストンと腑に落ちることが多いから、今までそれで揉めた事はないですね。お互いに、悩んでることを出し合って進めています。
真逆?似てる?一緒に活動してみて思うところ
-なんとなく、お二人ともお互いにまだ様子を見ている感じがしますね(笑)
西山さん:人としての性質が真逆なところが多いですね(笑)。でも倫理観はそんなにずれていないから安心しています。そして逆だからこそとてもおもしろいです。
今までしてきた仕事の話をお互いにした時に「同じような経験をしてるな」と思うことがあるけど、その経験から学んでいることが全然違う。
「同じところから私はこう学んだけど、あなたはそう学んだのね。確かにそれも大事」という刺激がすごく面白い。
その刺激が、私の感性や技術的なところの変わるきっかけになったり、「ちゃんとしよう」と気持ちが引き締まることもあって、これが長期的にどう影響していくのかが正直楽しみです。
あと畑山くんは、割としっかり 枠 があったほうがいいんだなと感じていて。木工職人さんらしい感性だなと思う。
けど時々それをぶっ壊してやりたくなる(笑)。
全部壊すのはハードルが高くても、例えば放牧みたいな感じで 枠を広げていければ。それでお互いに見えてくるものもあるだろうし、そういう風にしても面白いなと思って。大変なこともあるけど、大変なことを、たとえそれが自分の苦手なことでも 畑山くんはちゃんと一緒に考えてくれるから、頼もしいです。
-ワクワクのスイッチというか、起爆剤みたいですね(笑)。
畑山さんから見たりっくさんって、どんな人ですか?
畑山さん:心と体がつながっている感じ(笑)。僕の本質は違うけど、頭で考えてから動くタイプの人間になろうと思っているんです。めんどくさいけど(笑)。
だから、りっくさんのそういう部分をめちゃくちゃうらやましいと思います。懐が深いというか、りっくさんは人間が好きな人なんだと思います。そこは僕に無いところです。割とドライな人間なんで(笑)。
西山さん:正直に言うと私も割とドライな人間で、言ってしまえば本当は人にそんなに興味がない。だけどそれではいけないと自分で思っているので、人の良いところを見つけるように意識しています(笑)。
いろいろな人と関わるようになって「人との繋がりってすごく大事なんだな」と感じることが多くなってきて。「自分の財産って人間だな」と思った時に、もっと人に興味を持たなければならないと“良いところ探し”をするようにしています。
それでも合わないと感じると容赦なくシャッター下ろしますが(笑)。
自分を信頼して欲しいから、自分も人を信頼するようにもしています。
本質的には私と畑山くんのドライなところは似ています。そうは言っても畑山くんはそんなにドライではないです(笑)。
-[ mofmok ]を立ち上げようと思ったのは、どちらですか?

畑山さん:僕です。[ mofmok ]の大元のきっかけは、今の職場で猫を飼っていて、僕が猫の魅力に憑り付かれたことなんです(笑)。
木もアロマもそうなんですけど、僕は好きなものに関わってその製品を作るんだったら、その世界がちょっとでも良くなったらいいなっていう想いがあります。たとえば木は、海外から輸入されているものではなく日本の木を使っていけば、日本の森を守ることに繋がるなぁとか。
同じように、動物を題材として使うなら、動物がより良く生きれるような活動をしたいなと考えていました。
それで、[ mofmok ]の前身というかアイデアを思いつき、何か動物の グッズを作るならりっくさんに外注して絵を描いてもらいたい思ってたんです。僕はりっくさんの動物の絵が好きで、もともと一緒に何か作りたいと思っていたので。
でも、色々考えるうちに「やるんだったら、もっとちゃんとやりたい」という思いがどんどん大きくなっていって。そして“りっくさんのイラストと、僕の木工の技術が一緒になったら、めっちゃ良いのができるんじゃないか”って ワクワクして。ダメ元でお願いしてみようと思いました。
お二人にとっての『 いわむロック FESTIVAL 』って?
-会うべくして会ったようなお二人ですが、出会うきっかけになったいわむロックに関わったきっかけは?
畑山さん:イベントで実行委員長の平田さんとお会いし、「いわむロックのゲートとモニュメントを作りたいから手伝って欲しい。」と言われたんです。
僕の普段の仕事は、品質とか価格とかお客さんの希望とか色々制約があって、自分の作りたいものを自由に作れる仕事って少ないんです。でも、モニュメントとかゲートってそんなに決まりきってない、割と自由。だから 、そういう仕事もやってみたいなと思って。結果として2018年はモニュメントは作れず、ゲートのみの作成となりましたが。
それで2019年にもう一回やろうと思ったんです。でも結局、モニュメントはなかったですけど(笑)。
ただ、2019年にしっかり実行委員として会議にも参加して、ようやくいわむロック全体を知ることができました。そして自分の知らない世界の、魅力的な人たちに出会えたというのが大きな収穫だったと思います。
僕にとっていわむロックは、「表現できる場」、そして、イベントを一緒に作っていくという「文化祭」的な感じです。
西山さん:私もライブペイントしようと思っていた時に紹介して頂いたのが平田さんで、その後誘われて参加することになりました。いわむロックは、私にとって「おもちゃ」というか 「のびのびできる遊び場」です(笑) 。
そして、「人との出会いの場」。本当にいい人たちに巡り会えています。実行委員にはいろんなジャンルの人がいて、ある意味カオスな環境(笑)。その仲間が、信頼してくれるし信頼しているから、安心できる場所だなと思います。
それからいわむロックに遊びに来て下さるお客さん、出演アーティストと出会え「自分を知ってもらう場所」でもある。それによって私の世界がまた広がっていくのが、すごく楽しい。楽しいだけでイベントができるわけではないけれど、この二日間のために、ある程度頑張れる位の楽しみ方ができる場所です。
-今年のいわむロックは初の配信スタイルだそうですが、りっくさん、色んなことにチャレンジされるみたいですね。
西山さん:そうなんです。 私は楽しみでやりたいこともいっぱいあります。
この状況下で不安といえば不安ですが、いろいろ乗り越えれば何とかなる気がします。
そこを乗り越える方法を探し、仲間に助けてもらいながらやりたいと思います。
畑山さん:僕も現地に行って、色んな方法でお手伝い・助けになればと思います(笑)。
-[ mofmok ]としてはいわむロック初参加ですが、どう関わっていく予定ですか?
西山さん:配信ブースや、私が関わる企画の会場の装飾ですね。[ mofmok ]のグッズの紹介もあるかもしれません。
家具職人として、イラストレーターとして、[ mofmok ]としての、「これから」
-今後の野望(笑)を教えて下さい。
西山さん:画集を作る、個展を開く。新潟市のしもまちを盛り上げる企画「はじめて、しもまち」への参加を予定しています。何をするかはお楽しみに。
野望中の野望としては、フィンランドでエキシビション(展覧会)をしてその凱旋ツアーを日本五大都市でして、最後は新潟の「朱鷺メッセ」でツアーファイナル(笑)。
[ mofmok ]では、「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出る(笑)。銀座にあるデパートで取り扱ってもらう。そこから世界に行って 「Cool」って言われたい。新潟発であるという事にも、誇りを持ち続けてやりたい。そして、“絵で食べていく”という事、メンタルの維持や心構えなど、自分が苦労した部分を教えられる〈クリエイターを育てる側〉になりたい。
畑山さん:個人としては工場を再建したい。アロマ雑貨も商品は出来上がってきているので、予約制で見れる場所を作ろうと思っています。そして『新潟直送計画』というお取り寄せ通販・ギフトサイト での取り扱いを始める予定です。
[ mofmok ]をブランドとしてしっかり作り上げたい。一時的なユニットとしてではなく、ブランドとして継続していくことがすごく大事だと思っています。
商品に関しては、りっくさんと僕がやるからしっかりしたものになると思っているし、木製ブローチは新しい可能性になっている気がします。技術的な部分でも自分一人では絶対たどり着けないものだと思っていて。それは誰にでもできることでもないし、自分たちがやっている意味があるかと思っています。それが楽しいし、やっていく原動力になっているのは間違いないです。
また、そうやって僕たちが「イラストやもの作りが職業として成り立つよ」って証明して知名度を上げていくことで、「新潟でもの作りをしたい」という若い子たちの力になりたいです。
―西山りっくさん、畑山 駿さん、ありがとうございました!
- [ mofmok(もふもっく)]
- https://mofmok.base.shop/
- 西山りっくホームページ
- https://nishiyama-rick.com
- [ twig(トゥイッグ)]
- https://hatayamakenchiku.wixsite.com/twig
- [ 新潟直送計画 ]
- https://shop.ng life.jp/about/
IMR2020 Supporters
いわむロックFESTIVAL2020のドネーション(カンパ)にご協力いただいた皆様
(9/29 22:20更新・順不同)
- よしのや
- 田中亜紀子
- 畑山駿
- JUNKO
- しゅうちゃん
- 川辺 正人
- 保坂千津子
- ききちゃん
- 杉本家畜診療所
- 岩室スロウホステル
- A.T
- 金子洋二
- ごとう じゅんこ
- kema
- A.Y
- みどり
- 円山 恵
- 西野廣貴
- おぐランド
- ひとりん
- もっちゃん
- hiroko
- non
- 阿部カイロプラクティック
- Rina*
- naoko
- ホサカスタイル
- REAN
- あかちゃん
- kyoukoyou
- susumu
- Yoshinori Meguro
- イロハニ堂
- にゃんちゅー
- 浜田直樹
- nao
- akari
- 平賀良樹
- BAUBACS
- 白埼 亮輔
- H.H
- ぽてち
- しュうま
- なると
- なしみん
- Ryo
- あき
- ひなみんママ
- ティスロック
- アカハシマダラバト
- tottoko_234
- MISAKI
- 太田英彦
- ぴぃ
- 「混沌と宇宙のトルク展」にてカンパして下さった皆
ドネーションにご協力いただきありがとうございます。
いわむロックFESTIVALをよりよいイベントにするために活用させていただきます。
ドネーションは9/30まで受け付けております。
皆様の温かい応援を心よりお待ちしております
いわむロックFESTIVALは、実行委員会のボランティアで運営されており、
多くの関係者の皆様および、全てのお客様の応援があってこそ成り立っています。
今後とも、よりよいイベントが運営できますよう、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
大学を卒業してからです。でも、その年の3月11日に「東日本大震災」があって。“今だからこそ音楽が必要だ”と思いながら、だけどライブはやっぱり電力を使うので当時はすごく自粛ムードで、活動する場がなかったんです。そんな時、先輩のmarco(マルコ)さん(埼玉在住ミュージシャン)が「アルバム作ろうよ」と言ってくれたんです。CDを作るにはどうしたらいいのか、何も分からないところにmarcoさんが手を差し伸べてくれて。全部アレンジをしてレコーディングもしてくれて、ミニアルバム『Singing Life(シンギング ライフ)』を作ってくれたんです。ライブする時、やっぱりCDがないと、なんというか箔が付かないんですよね。自分がライブをしている目的も分からないし。でも初めてCDというものができて、“今はこれが僕の名刺であり、なおかつ、これを届けるためにライブをするんだ”と、活動を始めていきました。
そんな中、埼玉の先輩の「YKJ(ワイケージェー:ボーカル/アコースティックギターの若生ヤスジさんと、ドラム/コーラスのシュウゴさんの二人組のJ-Popバンド)」が僕を新潟へ連れて行ってくれたんです。シュウゴさんがすごく面倒見が良いんですよ。それが僕にとって初めての遠征で、初めての新潟でした。そして、活動一年目で初めての場所、僕の歌を聞きに来たお客さんはいないという状況で歌い、持参したCDがほとんど全部売れたんですよね。そうしたら、ヤスジさんや小田和也(東京在住ミュージシャン)さん達が「お前、結構それすごいよ」と言ってくれて。その時はよく分からず“そうなの??”という感じだったんですが、でも“自分の知らない街に歌いに行くってすごく素敵なことだな”って。そして、“まだ出会ってない人に自分の歌を届けられることが嬉しい”と思った始まりでした。